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 久留米東町教会ホームページによくアクセスしてくださいました。牧師の筒井省行と申します。

 わたしたちは、人生を順風満帆に生きることを望みます。それは当然のことでしょう。人間は、自力(努力)によって、ある程度満たされていると思えるような状態を創りあげることは出来ると思います。しかし、自らの歩みを見つめる時、表面上は満たされていると思えていても、実は内側では様々なことに頭を抱え、喪失、悲しみ、苦しみに苛まれ、私たちは、うめきながら生きているのかもしれません。あるいは、うめくことすらやめて、「人生など所詮このようなものだ」とどこかで絶望しているのかもしれません。

 だったら教会へ行くと人生は満たされるのか。聖書には、神、そしてイエス・キリストと人々との様々な出会いの出来事、物語が記されています。主と出会った人々は、解放され、癒され、赦され、救われ、魂に平和を得、新しく生かされます。聖書にはこのような言葉があります。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。」(ヨハネによる福音書14:27)という言葉があります。主イエスは、平和を与えると約束しておられるのですが、それを「世が与えるように与えるのではない」と明言されています。「世が与える平和」とは、人間の自力(個人を超えて組織国家と考える場合には、時に武力や圧力)と努力によるものです。キリスト教信仰は、社会で生きていくための努力を否定するものではありません。それは必要です。では、主イエスが与える「世が与えるように与えるのではない」キリストの平和とは何なのでしょうか。それは、表面上、順風満帆に生きるための私たちが考えるような平和ではなく、たとえどんな境遇に置かれても、絶望することなく何度も再び立ち上がることができる力だということができると思います。

 私たちは、毎週日曜日、礼拝をします。礼拝では、讃美歌を共に歌い、祈り、聖書を読み、聖書に基づいてメッセージ(説教)を語る説教者を通してなされる神の語りかけに耳を傾けます。その礼拝全てを通して、神は不思議な仕方で私たちに臨み、出会ってくださいます。礼拝において、神から状況に淘汰されない平和の力と励ましを受けて、私たちは生活の場に遣わされます。そのような平和を授かり、新しい一歩を踏み出すために、あなたも教会の礼拝に来てみませんか。

筒井省行牧師

筒井省行(つついよしゆき)プロフィール

1974年大阪生まれ

子どもの頃から教会に通うが、19歳でキリスト者となる。米国ジョージタウン大学卒業後、

関西学院大学神学研究科に学ぶ。

2008年~2010年 塚口教会

2012年7月 久留米東町教会牧師に就任

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